2010年10月06日
#64 那覇大綱挽、地方統一選の結果と知事選
10月5日火曜22時からUST生放送されました。
(#bokinawa live at http://ustre.am/6bZ2 )
今夜のトピックは、
「那覇大綱挽」by 喜納筑登之親雲上
「地方統一選の結果と知事選」by チエ
についてです。
OUR OKINAWAわったーばんどーは、
未来の沖縄の為に、今、考えて行動して行くのは
わったーばんどー、私達の番だよという想いでやっています。
放送のハッシュタグは#bokinawa です。twitterで確認してみてください。
(#bokinawa live at http://ustre.am/6bZ2 )
http://twitter.com/ ←コチラから登録してつぶやいてください!登録簡単ですよ^^
■那覇大綱挽
ハイサーイ!
喜納筑登之親雲上ヤイビーン!
今回のテーマは那覇大綱挽!(大綱引ではなく、大綱挽なので要注意!)
さてさて、那覇大綱挽なんですが、
那覇市民でも行ったことないよ~って人も多いんじゃないでしょうか。
ただのフェスティバルと思いきや、実は多くの見どころや楽しむポイントがあります。
もちろん、観光客の為の綱挽きという側面もあるんですが、
それでも、もっと地元の人にも楽しんでもらいたい!です。
というか、那覇大綱挽を観光資源にしているのに、
地元の人が大綱挽のこと知らんでどーする!って感じ(笑)
以下に今回喋ったメモを載せます。
※詳しくは本編を聴いてくださいね!
那覇大綱挽概要
・毎年体育の日の前日の日曜日に開催される大綱挽。
・女綱(西の綱)と男綱(東の綱)を合わせて200m
・総観衆約28万人(うち挽き手1万5000人)
・世界最大の稲藁で作られた大綱としてギネスブックにも載っている。
那覇大綱挽きの歴史
・もとは辻遊郭のジュリ馬の時に行われた遊女達の綱挽きが発祥という。1600年代から始まったらしい。
・近世期の綱挽きは薩摩役人の接待や国王慶事(=めでたいこと)として行われた。
・1863年にはカヌチ棒(男綱と女綱を繋いだ際に抜けないように差し込む棒)を入れる前に綱を挽いて大騒ぎ。死者も出す。以後8年は禁止された。
・本来は旧那覇地域(西・東・泉崎・若狭)の綱挽き。西・東がいつも大将村で泉崎や若狭をさらに東西に分けて加勢としてそれぞれの大将村についた。・那覇が合併し巨大化していくうちに参加する村も増えていく。現在は首里・真和志・小禄を含めた那覇市全域。
・1935年を最後に途絶えてしまうが、1971年に復活!以後、毎年行われる。
那覇大綱挽のオススメポイント
・綱を挽くだけが綱挽きじゃない!
綱を挽くまで、
旗頭ガーエー→空手ガーエー→綱寄せ→支度ガーエー→綱挽開始!
という流れで進行します。
ガーエーとは漢字で「我栄」と書き、言葉で説明するのは難しいんですが、
西と東のお互いのアピール合戦みたいな感じです。
・旗頭は東西あわせて14旗+アルファが参加。旗字(旗に書いている字)と旗頭(てっぺんの飾り物)にも注目!
首里の旗頭は左御紋(王家の紋章)。
西一番旗は八卦(はっけ・ヒャッチ)に凱歌。※三国志がモチーフ。旗頭が諸葛亮が持っていた扇になってます!三国志好きは要チェック。
垣花は地域にゆかりのある儀間真常にちなんで麻姓の家紋とサーターグルマ。
真和志は識名園にちなんだ六角堂(識名園内にある建物)。壺屋は炎(焼物を焼くのに大切な炎)。
・爆竹の音と煙でテンションMAX!
・次に空手ガーエー。東西から交互に空手家を出して型を披露します。
・綱寄せ(男綱と女綱を繋げる)の際のやり取りにも注目!あれを人力で繋げるのは圧巻。
・そして支度ガーエー。歴史上の人物に扮した人が台に乗って登場、西と東に分かれて演武します。
今年は何なのかまだ分からないが、去年は護佐丸vs阿麻和利。
トリビア
・綱を設置するため、会場となる国道58号線久茂地交差点付近は中央分離帯が取り外し式。
・「大綱引」ではなく「大綱挽」。「挽」という漢字は力を込めて引っ張るという意味。1839年の古文書「西東綱挽之時日記 西村」にも「挽」の字が使われている。1973年から挽の字を正式採用。
・支度で沖縄の人物が取り上げられたのは比較的新しい。近世は日本史の人物が登場。1839年の綱挽きでは弁慶と牛若丸。薩摩役人が分かるネタにしていたのだろう。
・今は定番となっている股引半套(ムムヌチハンター)・一反帯(イッタンウビ)・マンサージという格好は実は1921年から。それ以前は短い着物に股引だった。
・王国時代の大綱挽を描いた「那覇四町綱之図」(19~20世紀・作者不明)というのがある。これまで泉川筑登之親雲上寛英が描いた「親見世綱之図」(1839年頃)を戦前に写したモノクロ写真のみが現存だったので、実物の絵画史料は貴重。現在、那覇市歴史博物館にて展示中。(11月3日まで)
という感じです。
本当はもっとたくさん言いたい事があるんですが、長くなるのでこの辺で・・・。
※詳しくは本編を聴いてくださいね!
観光客も多くフェスティバル化した大綱挽ですけど、その中心部には熱い人達がいます!
熱気と火薬の匂い。テレビだけじゃなく、ぜひ、その空気を体験してほしいと思います。
(#bokinawa live at http://ustre.am/6bZ2 )
今夜のトピックは、
「那覇大綱挽」by 喜納筑登之親雲上
「地方統一選の結果と知事選」by チエ
についてです。
OUR OKINAWAわったーばんどーは、
未来の沖縄の為に、今、考えて行動して行くのは
わったーばんどー、私達の番だよという想いでやっています。
放送のハッシュタグは#bokinawa です。twitterで確認してみてください。
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■那覇大綱挽
ハイサーイ!
喜納筑登之親雲上ヤイビーン!
今回のテーマは那覇大綱挽!(大綱引ではなく、大綱挽なので要注意!)
さてさて、那覇大綱挽なんですが、
那覇市民でも行ったことないよ~って人も多いんじゃないでしょうか。
ただのフェスティバルと思いきや、実は多くの見どころや楽しむポイントがあります。
もちろん、観光客の為の綱挽きという側面もあるんですが、
それでも、もっと地元の人にも楽しんでもらいたい!です。
というか、那覇大綱挽を観光資源にしているのに、
地元の人が大綱挽のこと知らんでどーする!って感じ(笑)
以下に今回喋ったメモを載せます。
※詳しくは本編を聴いてくださいね!
那覇大綱挽概要
・毎年体育の日の前日の日曜日に開催される大綱挽。
・女綱(西の綱)と男綱(東の綱)を合わせて200m
・総観衆約28万人(うち挽き手1万5000人)
・世界最大の稲藁で作られた大綱としてギネスブックにも載っている。
那覇大綱挽きの歴史
・もとは辻遊郭のジュリ馬の時に行われた遊女達の綱挽きが発祥という。1600年代から始まったらしい。
・近世期の綱挽きは薩摩役人の接待や国王慶事(=めでたいこと)として行われた。
・1863年にはカヌチ棒(男綱と女綱を繋いだ際に抜けないように差し込む棒)を入れる前に綱を挽いて大騒ぎ。死者も出す。以後8年は禁止された。
・本来は旧那覇地域(西・東・泉崎・若狭)の綱挽き。西・東がいつも大将村で泉崎や若狭をさらに東西に分けて加勢としてそれぞれの大将村についた。・那覇が合併し巨大化していくうちに参加する村も増えていく。現在は首里・真和志・小禄を含めた那覇市全域。
・1935年を最後に途絶えてしまうが、1971年に復活!以後、毎年行われる。
那覇大綱挽のオススメポイント
・綱を挽くだけが綱挽きじゃない!
綱を挽くまで、
旗頭ガーエー→空手ガーエー→綱寄せ→支度ガーエー→綱挽開始!
という流れで進行します。
ガーエーとは漢字で「我栄」と書き、言葉で説明するのは難しいんですが、
西と東のお互いのアピール合戦みたいな感じです。
・旗頭は東西あわせて14旗+アルファが参加。旗字(旗に書いている字)と旗頭(てっぺんの飾り物)にも注目!
首里の旗頭は左御紋(王家の紋章)。
西一番旗は八卦(はっけ・ヒャッチ)に凱歌。※三国志がモチーフ。旗頭が諸葛亮が持っていた扇になってます!三国志好きは要チェック。
垣花は地域にゆかりのある儀間真常にちなんで麻姓の家紋とサーターグルマ。
真和志は識名園にちなんだ六角堂(識名園内にある建物)。壺屋は炎(焼物を焼くのに大切な炎)。
・爆竹の音と煙でテンションMAX!
・次に空手ガーエー。東西から交互に空手家を出して型を披露します。
・綱寄せ(男綱と女綱を繋げる)の際のやり取りにも注目!あれを人力で繋げるのは圧巻。
・そして支度ガーエー。歴史上の人物に扮した人が台に乗って登場、西と東に分かれて演武します。
今年は何なのかまだ分からないが、去年は護佐丸vs阿麻和利。
トリビア
・綱を設置するため、会場となる国道58号線久茂地交差点付近は中央分離帯が取り外し式。
・「大綱引」ではなく「大綱挽」。「挽」という漢字は力を込めて引っ張るという意味。1839年の古文書「西東綱挽之時日記 西村」にも「挽」の字が使われている。1973年から挽の字を正式採用。
・支度で沖縄の人物が取り上げられたのは比較的新しい。近世は日本史の人物が登場。1839年の綱挽きでは弁慶と牛若丸。薩摩役人が分かるネタにしていたのだろう。
・今は定番となっている股引半套(ムムヌチハンター)・一反帯(イッタンウビ)・マンサージという格好は実は1921年から。それ以前は短い着物に股引だった。
・王国時代の大綱挽を描いた「那覇四町綱之図」(19~20世紀・作者不明)というのがある。これまで泉川筑登之親雲上寛英が描いた「親見世綱之図」(1839年頃)を戦前に写したモノクロ写真のみが現存だったので、実物の絵画史料は貴重。現在、那覇市歴史博物館にて展示中。(11月3日まで)
という感じです。
本当はもっとたくさん言いたい事があるんですが、長くなるのでこの辺で・・・。
※詳しくは本編を聴いてくださいね!
観光客も多くフェスティバル化した大綱挽ですけど、その中心部には熱い人達がいます!
熱気と火薬の匂い。テレビだけじゃなく、ぜひ、その空気を体験してほしいと思います。
Posted by OUR OKINAWA at 00:58
この記事へのコメント
初めまして!
わたくし、てぃーだブログで、ツイッターサークルを運営しております。
メンバーも70人を超えてきたなか、OUR OKINAWA さんにも
ぜひ、参加して戴けないかと、お願いに参りました。
「増やしたい、サークル仲間。みんなで楽しくツイートしたい、
今日この頃なう」
サークルのページへリンクをしてますので、
ぜひ、前のめりでご検討下さいませ。
もし、邪魔でしたらこのコメントはお手数ですが、削除して下さい。
わたくし、てぃーだブログで、ツイッターサークルを運営しております。
メンバーも70人を超えてきたなか、OUR OKINAWA さんにも
ぜひ、参加して戴けないかと、お願いに参りました。
「増やしたい、サークル仲間。みんなで楽しくツイートしたい、
今日この頃なう」
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ぜひ、前のめりでご検討下さいませ。
もし、邪魔でしたらこのコメントはお手数ですが、削除して下さい。
Posted by 沖縄情報:HaisaiTV
at 2010年10月07日 09:10
