#57 離れ島だった奥武山、残したいうちなー口約100選

OUR OKINAWA

2010年08月04日 02:53

8月3日火曜23時からUSTREAM生放送しました。
辺野古関連をオープニングに、
「離れ島だった奥武山」と「残したいうちなー口約100選」についてです。

OUR OKINAWAわったーばんどーは、
未来の沖縄の為に、今、考えて行動して行くのは
わったーばんどー、私達の番だよという想いでやっています。



沖縄あれこれ~パートI
「離れ島だった奥武山」

沖縄あれこれ~パートII
「残したいうちなー口約100選」

今回は想いを伝えるので時間を使ってしまいました。
私のうちなーぐちへの想いとは…。

いろんなところでうちなーぐちは紹介されているんだけど、
それでもあえて、
私はOur Okinawaでうちなーぐちを取りあげてみたいと考えていました。

私たち30代は結構狭間な世代。
もうなくなってしまったものを、小さいころに見ているし体験している。
そして、新しい沖縄も知っている。

勝手に使命感。
復帰世代がいる世代を筆頭に生きてきた。
生まれたころは、まだ琉球政府の名残りがあり、
思春期には、明確に内地との区別があったし、
沖縄への差別も体験している。
内地に追いつけと、みんなががんばった時代に育った。
そして、2000年を境に、ちゅらさん・サミット時代で
沖縄ブームも見てきている
その節目、全てを記憶に残している世代が30代。

そして、30代は分断もされている。
今ならあたりまえの三線も、地域のエイサーも普通ではなかった。
ダサかった。かっこわるかった。
文化も言葉も、習える環境になかったし、習いたいとも思わなかった。
だから、
大人になってから、枯渇した環境で自分から学ぶしかなかった。

だから、
知識はないかもしれない。でもその分、肌で感じている琉球や、沖縄がある。

例えば、
私の家はペニーがたくさんあったし、
小さい頃の思い出は、アクアポリスと海邦国体とか、
8時だよ全員集合とか日本仕込みだ。
だけど、
内地に初めて行ったとき、
英語を話せるとか、外人多いから男遊びに慣れてるかと思ったとか、
沖縄ってパスポート必要なんでしょ。って。
それから、
「沖縄出身」ってだけでアパートが借りれなかった。
なのに、
沖縄って出身だけでうらやましがられるものに、
常に違和感。

序所に、私の中でそれまで日本人だったものは、
外から、そして内から崩壊した。

まあ、過去を振り返って今がダメだといいたいわけではない。
懐かしさにひたるわけでもない。
日本は、やだって言いたいわけでもない。

だけど、歴史とか、移り変わりがあるから、
今があるんだと伝える義務があると思ってる。
それも、なんか古臭い方法でなく。

その世代が、
今は聞かなくなった、なりつつある言葉を集めてみた。
それは、
なくしたくない、という想いや、
もちろん今の沖縄も好きだという気持ちもあるし、
焦り、やるせなさ、
いろんな想いが詰まっている。
でも、むつかしいことはあまりいいたくない。
みんなが楽しいと思って、ちょっと気軽に、
そして気ダルさにも似たゆるい感じで、
うちなーぐちと向き合えたら、と。

赤花(あかばなー)
ハイビスカスではないことをみんな知ってるのかなあ。
あかばなーは真紅で小さい花。
よく見かけるあのピンクっぽい豪華なハイビスカスとは違う。

※番組では、あかばなーについてうまく説明できませんでした。
その後、少しまわりに聞いてみました。

あかばなーとハイビスカスの違いですが、種類そのもの違いではないようです。
(ちなみにハイビスカスは何千種類もある)。

あかばなー(沖縄在来種のハイビスカス、深紅で花は小ぶり)、
ハイビスカス(最近入ってきたハイビスカスの外来種、おおきくて華やかな花)
特に、50、60代より上の方方々が、
あかばなーとハイビスカスの違いを意識している傾向があるようです。
50、60代(それより上)の方々が子どものころ、
あかばなーと呼ばれていたのは、
真っ赤な小ぶりのハイビスカスがほとんどだったので、
その後、入ってきた外来種のハイビスカスは
あかばなーとは呼べない(呼ぶのに抵抗がある?)ようです。
その世代に育てられたので、私たちは、
なんとなーく。あかばなーと言われる種類に愛着があるわけです。
深い緑に小さく咲くあの花に。

※とは言っても、在来種と言われるあかばなーでも
もとは外来種なので、長い間に在来種として定着した経緯があります。
(私たち世代が、みるくむなりはエイサーか?って疑問を抱くのと似ている気がします。その世代によって考えや答えが違う感じですね)。
沖縄ではこういうモノ、多そうですね。
タコライスとか、沖縄そばとか。

さて、番組ではその他に…、

ひんがーあたびち(蛙)
これは、「すーやぬぱーぱー」の話しをしていた両親とおばあちゃんが、
ひんがーあたびちという言葉に爆笑してて、
理解できない私が非常に孤立した体験があるので印象深い。
ひんがーあたびちは日本語に訳せないと言われたんですが、
それが理解できない重要性に身震いした。
ひんがーは垢なので、汚い?風呂に入らない蛙?
ちなみに、すーやは塩屋、ぱーぱーはおばあさんという意味

※この古典漫談に少しふれた『光龍ぬアハー!うちなぁぐち』 が
ありますので、ぜひ聴いて(読んで)みてください。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-133686-storytopic-129.html

やーちゅー(お灸)ぱちみかす(叩く)
親とか、近くの大人によく言われた。
今では虐待と言われたりするのかな。

しかまちかんぱち○○町 那覇は栄町
地域によって、○○が変化するらしい。
番組ではしかまちかんぱち○ー○○○というフレーズも誕生!

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言葉というものを失ったら、表現を失ってしまう。
表現には、地域やアイデンティティに深く関わった表現が多い。
たとえば、雪国には雪に関する言葉がたくさんあるように、
沖縄でも地域や人、文化に密着したものを表す言葉がとても多い。
多くの先輩方は、その表現はとても日本語に訳せないし、
日本語には似た表現はない、と言う。
私は、それをとても美しいと思う。
それらのものを忘れてしまったら、私たちは、たぶん、きっと、
画一化された日本人になってしまうと思う。
ただ、それがいい悪いはわからないけれど、
私は、表現していたいし、言葉を使っていきたい。

まあ、現代の環境では難しいところはあるかもしれません。
それでも、
少しずつでも、
間違っても、
言葉を楽しく使い続けることが大切だと思います。
ひとそれぞれだとは思いますが。

言語学ではひとつの言葉を自分のものにするには、
会話でその単語を11回以上使用することが必要と言われています。

例えば、
自分の言葉の語尾を変えてみるとか、
いい表現を覚えてそれを頻繁に使ってみるとか、
友達とメールを交換したり、
家族と、とくにおじいちゃん、おばあちゃんと会話したり。
琉歌とか、民謡とか、ツールはいろいろありますが、
大切なのは、気持ちよく会話できる人と、
間違いを気にせず、とにかく日常に入れることだと、
私は今は思っています。

ユウコ

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(#bokinawa live at http://ustre.am/6bZ2 )
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